スポンサーサイト

上記の広告は90日以上記事の更新がないブログに表示されます。新しい記事を書くことで、こちらの広告が消せます。

  

Posted by チェスト at

2021年12月04日

絶滅危惧種のフォークデュオ「フランスパン」

フォークデュオ「フランスパン」の修くんと純次くんは、その道55年の芸歴を誇る、アマチュアの域を超えた神がかりな素晴らしいハーモニーと心地よい(修くんはある意味スリリングな)ギターを演奏する2人組。
リアルフォーク世代の、リアルなフォークソングは絶滅危惧種でもあるので、2019年、東川隆太郎さんの世間遺産にも登録されました笑

そんな2人のライブが聞けるのは音楽館Rainだけ!

  


Posted by hd130 at 23:00Comments(0)社長のひとりごと

2019年10月06日

今日で9年目突入!



ひゃー!この店、どこ?
と言いたくなるほどの8年前の音楽館Rain。
なんと開業して今日で丸8年、9年目に突入しました〜!
5年続いたら奇跡。10年続けたら閉めよう、と言っていたRainですが、皆様のご愛顧のお陰様でここまできました。

これからも音楽館Rainと、Rainが愛する古き良き音楽たち、本田ファミリーをよろしくお願いします。
ちなみに8周年記念と増税が重なったので、ミュージックチャージや平日のランチが値上がりするという記念イベント実施中です。爆  


2019年08月05日

無農薬野菜づくりに挑戦中


音楽館Rainのランチなどで使うために、鹿児島市郊外に広大な畑と竹林を有している知人に甘えて、そこで無農薬お野菜づくりに挑戦しています。


言うは易いが、やるとなると、本当に大変。
特にこの季節はねえー。草を抜いて、振り返るともうはえてるんじゃないかというほど雑草の生命力凄すぎ。
あの生命力、何か薬とか細胞復活の研究とかなりませんかね。

しかし、大変なのを通り越して愛しいのが、日に日に大きくなるお野菜達。そしてそこで遊ぶ虫さんたち。
陽が照れば喉が乾いてないかな、とか、雨が降れば寒くないかな、とか、風が吹けば倒れてないかな、とか、お野菜に対する思いが今までとは違います。

毎回、ありがたくいただきます。

  


Posted by hd130 at 22:14Comments(0)社長のひとりごと

2018年11月01日

阿久根の夕日は絵画だ!


日曜日の道の駅阿久根からの風景。
甑島に沈む夕日が美しすぎてたまりませんでした。

秋が深まります。過ぎる季節が寂しいです。
寒くなると美味しいものが増えてきます。
温泉が恋しくなります。

そこで出水のかじか荘へ行くことに。
車中は気のおけない友人と楽しいおしゃべり。懐かしい音楽。
そんな中での素晴らしい夕日。
大好きな愛車に空のオレンジと青が映り込んで、これまたシビれるww


鹿児島は全てのものが揃っています。  


Posted by hd130 at 22:58Comments(0)社長のひとりごと

2018年09月30日

鹿児島の皆さん、お邪魔しておりまーす

9月下旬のリビング新聞鹿児島版に、音楽館Rainのプロジェクトマネージャーが大きく掲載されております~。


こういう宇宙服のマネージャーがRainのイベントを企画しているのですオホホ。
各家庭、各施設のポストにお邪魔しております。
こんなことに夢中になっている薩摩おごじょもいるんだなぁ、とご笑覧ください。

宙の駅のHPはこちら→ http://solanoeki.jp/
宙の駅のインスタはこちらで検索→ solanoeki_kagoshima
宙の駅のFBはこちら→ https://www.facebook.com/solanoeki/
本田静のインスタはこちらで検索→ wonderful_hondaful  


Posted by hd130 at 17:55Comments(0)社長のひとりごと

2018年04月22日

第9回IKO会in阿久根うに丼祭り!

超久しぶりのIKO会が開催されましたー!
✳︎説明しよう、IKO会とは、伊集院高校卒業の母と同級生を連れて鹿児島のあちこちを旅する会である!

第9回の今回は、阿久根のウニ丼祭りへ。
家族では毎年行っているウニ丼祭りですが、今回は初めて太郎寿司を利用することに(*´ω`*)

と、その前に、阿久根の大川地区の松岡神社にお詣り。


松岡神社は薩摩街道沿いにあるので、大川の宿坊に泊まった坂本龍馬もきっとここからの景色を見たはず。


思いがけずキツネノボタンが満開で可愛らしくも美しい社殿が撮れました^_^




太郎寿司は名前を書いてから待ち時間が1時間以上あったので、その間阿久根市街地を散策。
青い柱の信号機、阿久根駅でのジャズライブ、昔懐かしい魚屋さんの風景。とってもよか散策になりもした(*´ω`*)




で、ついに太郎寿司のウニ丼と対面!
プリプリのムラサキウニの凄まじい美味さに無言。何も言えねぇってやつでした。



帰りには阿久根の道の駅でアイスクリームとお買い物を済ませたら、伊集院の平野国臣の歌碑や有馬新七の生誕地を見学。


歴史とグルメの最高のIKO会となりました!  


2017年12月05日

数年ぶりの投稿っす。Rainは生きてますww

みなさん、大変お久しぶりです。ブログのパスワード分からなくなって途方に暮れておりましたが、このたび晴れてログインに成功‼︎
Facebookでは時々更新しておるRainの様子ですが、ブログのほうがいいわ〜というお声も根強く、時々はこっちに投稿しようと心に決めましたww

さて、お陰様でRainは開業6年を迎え、権左通りでは中堅の個店になってきましたw
相変わらず50年前から同じ歌しか歌っていないエンタメ部長と料理長ですが(笑)、Rainに行けば知ってる誰かに会えるわ、という店であるには違いないでごわす。
音楽をまったり聞くなら音楽館Rain!
今週末も元気に営業しますよーw

  


Posted by hd130 at 22:25Comments(0)社長のひとりごと

2013年04月11日

チタマだがやー!

仕事で使う地球を作りました。
設計は私。父は最初の1割を手伝い、あと母が8割作りました。



最後の仕上げが素晴らしいので、なんだかサマになってますなー。
素晴らしい出来栄えです。
明日はこれのお披露目となるでしょう。
テレビを要チェック!!(笑)  


Posted by hd130 at 21:50Comments(0)社長のひとりごと

2013年03月07日

宇宙ビル本部

今日はRainと関係のない写真をUP。
社員一人アルバイト一人という贅沢な空間を二人占めしている事務所です。


天文館宇宙ビルの三階に本部という名の事務所。
先日は新品のコピー機も到着して、いよいよ仕事スタートという感じになりました。
しかしまだひかり通信が整っていないので、ネットワークや通信関係はまだ。
完全に装備が整って始動するにはもう少し時間がかかるかも。

明日はゲストを招いての会議。
気が抜けません。  


Posted by hd130 at 08:09Comments(0)社長のひとりごと

2013年02月25日

エンタメ夫婦の結婚記念日

2月25日はエンタメ部長と料理長ゆう子の結婚記念日でした。
奇跡的に姉も帰省していたのですが、どうしても25日の当日に食事会を催している時間がなかったので、前倒しして24日の昼にお祝いすることにしました。
昼で贅沢なお祝い事をすると言えばやはり寿司ダイニングSUZAKI。姉も初めての店だったのでここでお祝いすることにしたのです。

食事中は、新しいバーを作るには具体的にどうすればいいかという話で盛り上がる。
マジ、私は次なるバーを展開したくて仕方なく、母に話すと超乗り気。
姉は泣く子も黙るマーケティングのプロですが、計画を話すと彼女も当たりを確信したご様子。具体的に展開戦略を教えてくれました(笑)。ですので、もしバーが始動したら、姉の会社にプロデュースをお願いしようと思います(笑)

食事の後は、お店からお祝いのケーキを頂きました。両親大喜び。
そこで今回のメインイベント、プレゼント贈呈です。

ところが今回は姉と話し合って品物はプレゼントしませんでした。代わりに目録をば(笑)



結婚34年を迎える夫婦ですが、エンタメ部長はついに60歳を過ぎ、今度のタイミングで会社は定年を迎えます。
まぁでも年金の問題などありますので、65歳までは再雇用制度を利用して働こうかなと申しておりました。
しかし私と姉は子供のころから思っておりました。

エンタメ部長は別に仕事が大好き!というわけではない、ということを(笑)
そして、できれば定年を迎えたら、自由な人生を送りたいと思っているだろうということを(笑)

ところがやはり現在は35年前と違って、年金受給年齢も引き上がったし、素直に定年で自由というわけにはいきませんわな。
そこで今回の結婚記念日のプレゼントは、
「1年間だけ再雇用で頑張れ。しかし、もう2年目からは自由な人生を送ることとする。」
という目録にしました。
姉も私も結婚の予定はないどころか、仕事が忙しくなるのが目に見えていますし、忙しくなるイコール、給料を使わない、給料を使わないイコール、経済的に両親の生活費ぐらいは補てんできるという計算になりました。
その方程式の下、父が65歳になるまでは仕送りをするので、61歳の夏からは自由に暮らしなさいということにしたわけです。

え?え?と、何度も目録に目を通すエンタメ部長。
深々と頭を下げて泣きそうになる料理長ゆう子。
よかったね~と喜ぶ祖母。
「もしかして、働きたかった?」と聞く姉に対して、「いえ、全然」と即答するエンタメ部長。


65歳になってようやく会社を退職したエンタメ部長のお父さん(私から見て祖父)は、老後の楽しみを味わうことなく2年の内に亡くなっています。
こんな人生って悔しくてたまらないでしょう。やりたいことがたくさんあるのに、こんな不幸はありません。

35年間、家族のために仕事をしてきた会社員に、さらに働けというのは可哀想というものです。
60を過ぎたら好きなことをするぞー!という父の夢を、ぜひかなえてほしいと思います。
そして、音楽館Rainの代表として、さっさと仕事を覚えてほしいと思います(笑)

結婚記念日おめでとうお二人さん。
そしてやっと手に入れた死ぬまでの自由な時間を謳歌してください。  


Posted by hd130 at 19:34Comments(0)社長のひとりごと

2013年02月16日

予約のお客さん来ず…

7時から8人で来ます!という予約をくださったO野様。
予約をくださったのが先月末で、食事まで予約してくださったので心の準備をして待っていたのですが…(; ̄ェ ̄)

今の時間になってもいらっしゃらず…。
待ってる内に25名の予約が入ってしまいました。ので、もう受け入れることにしました。
連絡先を聞いていなかった私も悪かったなぁと反省。  


Posted by hd130 at 22:35Comments(0)社長のひとりごと

2013年02月14日

祖父の伝記本、完成!号泣!

去年の6月から手を付け始めた祖父の伝記本が、本日ついに納品となりました!!!!



思えば、何かの因果を感じて、父方の祖父を一冊の本にしようと思ったのは、当店に飲みにきてくださった人生の先輩、M橋さんのお陰。M橋さんがうちの祖父のことをご存知だったのがきっかけでした。
そこから、考えつく限りの親戚縁者に声をかけ、祖父の思い出の一つでも寄稿せよと、全国津々浦々に指令を出しました。
30年近くお付き合いが遠のいていた親戚とも、これを機にグッと身近になりましたわい。
それもこれも、黄泉の国から私を突き動かしてくれた祖父の力ですな~。

皆さんの力が結集しすぎて、とんでもなく分厚い本になってしまったけども、これも祖父への思いと比例している証拠でしょうな。


新書サイズで266ページでフルカラーのカバーまでつけて、50部印刷かけて超超超低価格のサンライズパブリケーション株式会社に今回も感謝。
そう、「吉野兵六ゆめものがたり」の上下巻発行でもお世話になった印刷屋さんです。
もう、ほんっと、いつも丁寧に対応してくださるから神様みたい!製本まで親身になってくださって、お陰様で思ったよりも1000倍以上素晴らしい本人なりました!!

この本、レインでも読めますが、実は国会図書館にも送る予定です(笑
日本が沈没しない限り、永遠に残りますゾー♪(´ε` )

さぁ、あとは刊行式典が23日の夜!どんだけ親戚集まるかは謎ですが、お祭野郎大集合の予感w
明日、おじいちゃんの墓参り行こうっと。  


Posted by hd130 at 18:56Comments(0)社長のひとりごと

2013年02月04日

野菊会への入会審査

うちの3ババとプチドライブをする会を野菊会と言いますが、その入会審査は非常に厳しい。
身辺調査や面接は、まぁどうということはないのです。が、重要なのは体力審査。
まず、自力歩行できない者は入会をお断りしております(笑) 杖をついてでも、人に支えられてでも歩けるというならOK。
あと、最大1000mは連続で歩けるということが必要です。すぐに休憩を取りたがるようではいけません。

そういう審査を兼ねて、1月下旬、新メンバーと坊津方面へ行くことになりました。
坊津の輝津館(きしんかん)という歴史資料センターの外の敷地に、梅崎春生の文学碑があるのを見に行く用事がありました。
この文学碑は椎名麟三が発起人となって建立したものですが、実はうちのじーちゃんもドップリかたしておりました。
祖父の名前がどこかに刻まれていないかという期待半分、祖父が触ったであろう文学碑に触れたい気持ち半分。

最初は私と母と2人で行く予定だったのですが、あまりにも天気がいいから私も行きたい!という野菊会の正会員1名(私の祖母)もついてきました。
で、野菊会に入りたいと言っていた小父さん夫婦も誘って出かけることにしました。
昼過ぎに鹿児島市を出て、輝津館についたのは2時前でした。
資料館の中もぐるりと見た後、文学碑を探しに丘の上に上がる。



ありました!これです!両サイドを海に挟まれた丘の中腹に鎮座した梅崎春生の文学碑。
梅崎春生が急逝して1年も経たないうちに昭和41年に建てられました。
梅崎氏は、坊津が出てくる代表的な小説を書いています。特に、絶筆となった『幻化(げんか)』という小説は、ドラマにもなっていて、当時話題になりました。
彼と親交が深かった椎名麟三が、彼の死を悼んで建立を思い立ったのをサポートするべく、椎名麟三を師と仰いでいた私の祖父も加担しました。
もちろん祖父の名前はどこにも刻まれていませんでしたが、こっそり何度もここに足を運んでいた祖父が触ったであろう文学碑に私も触って大満足でした。

ここを出て、どこかでお茶をしようという事になったので、枕崎を通り越して、番所鼻公園まで行くことにしました。
公園の手前にある喫茶店「くろんぼ」は、前から気になっていた喫茶店です。
ここで、ご主人に店の名前の由来を聞いたり、ご主人の今までの経緯などお話を楽しく聞きながら、パフェやらアイスやらをいただきました。



夕日が沈むちょうどいい時間になったので、伊能忠敬先生が絶賛した地だというポイントに移動。
ここがまた最高にきれいだった!




小父さんは、「未だかつて、こんな美しい夕陽を見たことがない」とおっしゃるほどでした。
確かにそうでした。私もここでこんな美しい夕陽を見たことはありません。
もしかすると、伊能忠敬氏も、この夕陽を見て絶賛したかもしれませんね~。

というわけで、歩きに歩いた一日。
見事、おじさん夫婦は野菊会の入会試験に合格です!

で、合格通知をしながら、夜はおじさん夫婦にご馳走になりながら、天文館の美味しい料理屋さん季麟で舌鼓でした!

野菊会がにぎやかになって、楽しくなりそうです!
でもその前に、8人乗りの車でも買わなくちゃ(笑)  


Posted by hd130 at 21:25Comments(0)社長のひとりごと

2013年02月04日

第6回IKO会in関東東海(報告その3)

はー。せっかく書いたブログが消えた~。泣きそう。前にもこんなことがあったな~。学習能力がない自分。

さて、気を取り直してIKO会の最終報告を終わらせましょう。

3日目の今日は、夜の7時半にフライトだったので、お昼は一日名古屋を観光することにしました。
朝ごはんも食べずにチェックアウトした後、金山駅に荷物を預けて二階のドトール的なところで朝食。
そのあと、地下鉄で名古屋城を目指しました。

前回金山駅から名古屋城を目指した私と母は、頑張って歩いて行こうとしていたのですが、警備員のオッチャンから「結構距離があるよ」と言われ断念した思い出があります。
O迫さんも何度か名古屋に来たことがあるにもかかわらず、まだ名古屋城に行ったことはないということだったので、ワクワクしながら地下鉄に乗りました。
お城の東門から出てくる地下鉄から上がってきて門をくぐろうとすると、棒を持って警備に当たっているお侍さんがいました。このお侍さんは明らかに自分の毛でちょんまげを結っている本格派。
私も武士らしく挨拶がしたいと思い、
「九州は薩摩から姫を二人連れて参った。殿はおられるか!」
と名乗ると、
「なんと!77万石の薩摩から参ったと!しかし残念じゃが殿は不在じゃ」
と返されました。
さすが百戦錬磨のお侍さんはノリが違うぜ~。

しばらく終わりと薩摩の話で盛り上がった後、東門をくぐると、どうでしょう!この堂々たる名古屋城!!



素晴らしい日本晴れ!城のてっぺんできらきら光る金のしゃちほこ!
観光するにはもってこいの最高のロケーション!
軽く広場ではしゃいだ我々は、今度は城のふもとに行くことにしました。
すると、外で何やら大掛かりな工事が。
どうやら本丸御殿の復元工事がなされていたようで、時間的にも見学可能な時間帯だったので、工事現場のオッチャンにヘルメットをもらって、屋根をふいている途中の御殿を上から見学することにしました!



似合いすぎるこのヘルメット~!っていうか、O迫さん可愛すぎる~~!!(笑)
宮大工のお兄さんたちが横一列になって、屋根の小さな板を一枚ずつ打ちつけている所でした。
手際の良さも目立ちますが、この御殿のスケールのでかさに目を見張りました。
しばらくここで見学を楽しんだ後、外階段を下りていくとことで、この本丸御殿の着工式店からずっと密着しているというカメラマンのおっちゃんと出会いました。
彼はアマチュアカメラマンで、ここ数年はずっと名古屋城だけを取り続けている後藤さんという方でした。
後藤さんは、今まで自分が取ってこられた本丸御殿の様子をまとめた写真集を持っていらっしゃったので、解説をお願いしながら写真を拝見しました。
後藤さんはとても詳しく教えてくださるばかりか、その写真が素晴らしいのなんのって!
特に名古屋城の様子を写した四季折々の写真が美しすぎて度肝。



これは後藤さんの作品です。お土産にどうぞお持ち帰りくださいと、我々3人に1枚ずつ違う写真をプレゼントしてくださいました。
これはもう素人の域を超えています。私は後藤さんの写真に惚れ込みました。
5年後の本丸御殿の落成式までは頑張って写真を撮り続けますとおっしゃっていた後藤さんに、必ず再会しようと決めました。
で、後藤さんに
「私は県知事になります。そしたら鶴丸城を再建します。その時はぜひ写真を撮りに来てください」
と真面目に言うと、後藤さんは大変驚き
「え!時期県知事さん?それは素晴らしい!ぜひ写真を撮りに行きますよ!」
と、名刺をくださいました。
そして、総工費150億円かかったこの本丸御殿再建計画も、3分の1は県民からの寄付。この屋根の板1枚1枚に寄付をした人の名前が載っている。このようにして、市費や県費ですべてを賄わない方法もあるので、きっと鶴丸城を再建させてくださいね、と有難いお話もくださいました。
母もO迫さんも「この子はやりかねませんので、鹿児島初の女県知事と報道があったら、この子だと思ってください」と口々に言っていたので、後藤さんも笑われていました。

とにかくいい出会いがありました。

名古屋城の内部に入ると、各階に色々な展示物がされてあって、いくら時間があっても足りない勢い。
でもここだけは外せない!とばかりに、金のしゃちほこに跨る我々。



可愛いね~この二人。まるで修学旅行生。私も同類ですが(笑)

天守閣の展望階まで登ったら、今度はエレベーターで楽々ダウン。
ここでお昼ごろになっていたので、お昼ご飯を食べるところを探しながら、歴史ロードなるところを歩いて、徳川美術館を目指すことにしました。
まーところが徳川美術館って結構遠いのね…。
あまりにもお腹も空いたし、オバサマ達が歩くのをキツそうにしていたので、今いるところから比較的近い川上貞奴の邸宅として有名なところを目指していくことにしました。



テレビで、日本の洋館100年とかいう番組をみたことがあって、そこにこの川上貞奴邸が出ていた。
とっても綺麗で優美で、ぜひ行ってみたいと思っていたところだっただけに、超感動。しかも入場料も200円とリーズナブルで、当時の家具がそのまままだ使える状態で保存してあって、実際に座って寛ぐこともできて最高でした。
こういうのを見てすぐ思い出すのが鹿児島市磯の異人館。
ここに引けを取らない古い建物で、当時の様式をそのままに残すカッコイイ洋館なのに、中身はほとんど何もない。
にもかかわらず入場料をイッパシに200円とることになった異人館。
貞奴邸のように、もう少し手を加えてほしい。貞奴邸は、1階の一部の部屋が有料で貸し出される集会所にもなっていて、手芸教室みたいなやつが開催されたりしているみたい。
そういう風に異人館も活用を図って、ぜひぜひ鹿児島の名所の一つにしてほしい。
次期県知事は切実にそう思いました。
そう思いましたので、帰ってきてから市に電話して色々問合せしちゃったじゃないか。
ま、この話はまたあとで。

ここを見終わったら、すぐ近くの食事屋さんでご膳を食べて大満足。
街めぐりバスに乗って名古屋駅に帰りました。
その街めぐりバスも最高で、アナウンスが織田信長と家来の亀吉さんという人になってて、ござる言葉で流れるのであります!
「降りたいものはボタンを押すがよかろう!」
と、堂々と言われると、「ハハッ!」と言ってボタンを押したくなるわー。
鹿児島のシティビューに乗ったことがないアタシが言うのもなんですが、鹿児島はどうなんだろう。
まだシティビューはいいにしても、いわ〇きバスが出している、せごどん号とあっちゃん号は、あれはどうかしたほうがいいと思います。誰ですかあんなペイントにしていいと言ったのは。
あんみつ姫じゃないんだから、篤姫的な人が眼鏡をかけたらダメでしょ。しかもあっちゃんってネーミングもダメでしょ。
そして西郷さん的な人が、あんな口を大きく開けて馬鹿笑いしたらダメでしょ。
薩摩隼人はあんなバカみたいな笑い方をしません。
子どもウケを狙うにしてももっと別の方法があるわけですから、あれは私が県知事なったら、再考してもらうしかありませんね。
っつーか、県営バス頑張れよ!

ま、そんなこんなで、金山駅まで帰ってきて、荷物を取ってセントレアに向かったはいいのですが…。
ここでハプニング。
なんか様子がおかしいと思って電車の中の路線図見たら、セントレアと全く関係のない方向に向かっていることが判明しました。
知立に行ってた。
慌てて下車して特急で戻る我々。最後の最後でしくじってしまいました爆笑!
でも時間的にとても余裕を持っていたので、十分の時間を残してセントレアに着くことができました。

セントレアでブラブラ買い物をし、7時半の飛行機に無事に乗って鹿児島に着きました。
夜も遅くなって、9時過ぎにO迫さんをお宅までお送りしたのでした。

O迫さんには、IKO会最大の遠出に付き合ってくださり感謝!
とっても楽しい旅でした!と私は思っていますw

でも帰りながら、
「次は列車で萩に行こう!」「犬山城にも行きたい!」「飛騨高山か、白川郷とかも!」
と、次の旅の話で盛り上がる我々。お金が続けばどこにだって行きたいっす☆

もう一人のIKO会員、N崎さんも、早くお仕事ひと段落したらいいのにな~。
N崎さんがいないと、どうもさびしい。そもそも奇数人数なのが不便。

というわけで、長くなりましたがこれにて第6回IKO会の報告はおしまいです!  


Posted by hd130 at 20:58Comments(0)社長のひとりごと

2013年01月22日

第6回IKO会in関東東海(報告その2)

やっと報告その2をUPです。今回は日程2日目、岐阜編です。

品川の高級ホテルに泊まった私たちは、8時50分発ぐらいの新幹線で一路名古屋に向かうことにしました。
品川の改札口で姉と別れ、朝ごはん代わりの駅弁を購入。名古屋まで1時間半ほど時間がかかるので、新幹線の中で食べようという魂胆です。



ビジネスマンが所狭しと座っている自由席に無理やり入り込んで、新聞を読んだり、パソコンで仕事したりしているオジサマ達の隣で駅弁を広げる私たち。やっぱり列車の中で食べる弁当は最高ですな~。
しかも見てください!このお茶!私の名前が刻まれているではありませんか~!異様な親近感を覚えながらの朝食でした。

あっという間に名古屋に着いたら、改札口でO迫さんの息子さんが待ち受けてくださっていました。
彼は愛知で就職され、この辺は学生時代からの庭も同然だとか(笑)
この日、なんと丸一日お休みを取ってくださり、私たちを車に乗せて岐阜に連れて行ってくださることになっていました。
しかも息子さんは事前に岐阜の歴史資料館など、場所をチェックしてくださった上に、治水工事の予備知識なども資料にして送ってくださっていました。
この上ない頼もしい添乗員さんです。私もすっかり甘えて、ただ車に乗っているだけというお客様丸出し状態でした。

名古屋駅から直接岐阜の桑名方面へ。
まずは海蔵寺という、薩摩義士を祀ってある代表格のお寺へ参拝に行きました。
閑静な住宅街の中にある、こじんまりしたお寺ですが、お堂の正面には見覚えのある丸十文字と平田靭負の家紋。



県外で丸十文字のマークを見ることになるとは、なんとも不思議な気持ちです。
本堂に向かって左側には、薩摩義士についての説明や、亡くなった方々のお名前と供養塔が設置してあり、前の日までに読んだ歴史小説の中に出てきた薩摩武士たちの名前もあったので、全く他人とは思えない墓碑群でした。
薩摩から300里も離れた土地で死ぬことになってしまった武士たちは、おそらく薩摩を出発した時点で覚悟を決めていたかもしれません。それでも一日たりとも家族や藩主のことを忘れたことはなかったでしょうし、早く帰ってみんなに会いたいと思って、それを生きがいにしていたに違いありません。
そんなことを想像するだけで、涙目になる母がウケましたが、ここのお参りを済ませたら、いよいよ本堂に安置されている平田靭負の木像を拝みに上がりました。



教科書や観光パンフレットにも載っている有名な平田靭負の木造です。
この偉人が300年近く前に、たった1000人の薩摩武士を引き連れて、超巨大三川の治水工事を、わずか1年3か月でやってのけたのです。
私もこの事実を知ったのがほんの3,4年前のことでした。
そして城山のふもとにある石がピラミッド状に積み重なった碑が、薩摩義士の碑だという事は、実は昨年知りました。
ホント…アカン、私。

このお堂で購入した杉本苑子氏の『孤愁の岸(上下巻)』を携えて、焼酎の一本でも持ってくれば良かったと悔やみながら、お寺のすぐ隣を流れている運河のほとりを散策。

今回の写真に唯一写っている息子さんを挟んで、「山」の字のように小さいお母さんたち。
天気もいいし暖かいし運河はきれいだしで、すっかりゴキゲン麗しゅう感じで(笑)

さて、海蔵寺を離れた次は治水神社に向かいました。
治水神社は、治水工事が完成したあと、涙を流しながら薩摩武士が植えた千本松原の近くにあります。
神社の隣には治水公園もあって、そこのタワーからは千本松原と治水工事の土手を一望できるというので、そこにも行くことにしていました。

海蔵寺から車で20分ほどの場所に、治水神社がありました。お社には、海蔵寺にもあったような丸十文字の旗。

ここの宮司さんが、治水工事について喋り出せば止まらないという噂を聞いていたので、ぜひ一度お話を聞きたいと思っていたところでしたが、残念ながらこの日はいらっしゃらなかったようで、社務所に声をかけてもだれも出てこられませんでした。非常に残念です。

神社から歩いて30歩ほどのところに、通称治水公園という国立三川公園があります。
タワーに上る前に、治水工事の様子を教育教材のアニメーションにしたビデオを視聴し、テンションを上げてタワーに上る。
いやしかしあのビデオは声優が私の愛してやまない田中秀幸と、波平さんでおなじみの永井一郎が出演してて、声優だけでも十分に豪華でした。ああ田中秀一好きすぎる~w

さぁそうこう言っている内にタワー頂上に到着しました!

今となっては、埋め立てや、明治時代の治水工事によって、だいぶ当時の形とは異なるようですが、正面の千本松原など見下ろすと、当時、向こう岸で働く仲間が豆粒のように見えて、心細くて仕方がなかった侍たちの土木作業に思いを馳せずにはいられません。
だって知っている大河と言えば、甲突川しかなかったはずですから。


ここで宝暦の治水工事について簡単に?説明しましょう。

関ヶ原の敵陣突破で薩摩に逃げ帰った薩摩軍ですが、負けた西軍の割にその後も何とか生活水準を保ってそこそこ反映していました。
理由としては、東軍(徳川系)の影響を受けにくい日本の南端に位置していたこと、離島を抱えてその土地の特産品である黒砂糖や紬などの着物類、また沖縄や沖縄を経由して外国ともこっそり貿易などしてお金を作ることができていたということが挙げられました。
外様大名の代名詞となった薩摩はいつしか七十七万石の豊かな国となりました。ホント、西軍で負けた割に。

そんな薩摩を徳川系はとても警戒しました。力をつけてきた薩摩が、いつ反旗を翻して反乱を起こすかドキドキしていたのです。徳川家は自分のところのお姫様を薩摩に嫁がせたり、逆に薩摩の姫様を徳川に嫁がせたりして、親戚としての保証を作ると同時に、嫁入りのためのお金をたくさん使わせることにしました。
さらに、徳川家の菩提寺を改装するだの、江戸城の城壁を修繕するだのと理由をつけては薩摩藩にもお金を割り当てさせ、とにかく散財させていました。

その最終手段が、この治水工事でした。
幕府が、お手伝いと称して、全然関係のない土地の工事などを、力をつけてもらっては困る大名に請け負わせるというトンデモな命令を下していましたので、氾濫して困るからどうにかしてくれという尾張藩からの要請を受けて、じゃ、薩摩にさせちゃおうぜ、という話になったのです。
ところで尾張名古屋の城主は徳川家でしたので、名古屋サイドの木曽川の川床は一番高く、次に低い真ん中を流れる長良川、そして一番低いところを流れる三重サイドの揖斐川というふうに、もし氾濫しても、三重サイドに溢れるようにして名古屋に一番被害がないように取り決めさせていました。
そのため、治水工事はその反則的なルールの下、氾濫して大変なことになる揖斐川の補強工事を中心に進められることになったのでした。

お手伝いの命令が下った薩摩にはもちろん衝撃が走ります。
すでに今までの幕府の嫌がらせにより、あちこちから借り入れて藩の財政をやりくりしていたのに、追い打ちをかけるお手伝い普請。
もちろん藩の中ではお断りするという話が出ました。でもお断りするという事は、徳川に戦争を挑むという事でした。
さんざんに考え、議論を重ねた末に、家老と藩主の島津重年(しげとし)はお手伝いを受けるという結論にいたります。やはり戦いを挑んでも負けることは目に見えていますし、お家の存続第一という前提があるので、みすみす全滅する真似はしたくなかったということもあります。島津家は、初代から今まで、同一のお家によって統一されているという、全国でも珍しい国でもありました。700年も続いたお家を断絶させることは難しい決断でもありました。

重役たちの決断を聞いた家臣たちは、やはりそれでも憤慨しました。どっちに転んでも死にそうなのだから、どうせなら戦いたいという武士の魂が燃えたのです。それに、今までの幕府の扱いにも辟易していました。
その家臣たちを最終的に説得したのが平田靭負でした。
本当に大切なのは、私たちのプライドではなく、島津の殿様と自分たちの家族。そしてそこに住む民百姓だ、と言ったのです。彼らを路頭に迷わせて、素晴らしい自然に囲まれが薩摩が火の海になるよりは、顔も知らないけど300里先で困っている人たちのことを助けようではないか、と。

こうして薩摩義士は岐阜で命がけの大工事をすることになったのでした。

お手伝いを命じられた藩は、すべてが幕府の言いなりでした。
労働者は、基本的に地元住民を雇え。日給は言い値で請け負え。材料は地元で調達せず、工事現場の半径数キロ以上先から調達しろ。現場監督は幕府の役人と地元の役人がやるから文句を言わずに言われるとおりに作業しろ。などなど。
そのため、外貨が稼げるいい機会を逃したくない地元住民は、中には怠けるものがいたり、わざと脆い土手などを作って、完成を遅らせたりする者も現れました。
土木作業など不慣れな武士たちは、芋侍とののしられ、工期を遅らせようとする住民たちの不正な行為を目撃しても文句も言えずにいました。
どうにかして問題視してもらおうと、その場で切腹などして抗議した武士も多かったのですが、風当たりのことを考えると、平田靭負たちは、怪我で死亡と届けるしかなく、内部でも相当に紛糾したとのことでした。

幕府からの当初の公費の見積もりは14,5万両でしたが、もちろんそんなはずはありませんでした。
それに勘付いていた平田は、その2倍の30万両と試算。それが功を奏して、最終的には40万両強の公費となったにもかかわらず、薩摩藩はなんとか財政をやりくりして難工事をやってのけたのでした。

しかしすべての責任を取って平田靭負は薩摩義士を全て国へ帰した後、岐阜で切腹しました。
その後、赤穂浪士の討ち入りのように、薩摩に帰った武士たちが、何年かして仇討に攻めてくるのではないかと恐れた幕府は、30人以上ものスパイを薩摩に派遣。むしろスパイというか堂々と薩摩に住みついて、生活の一切を薩摩に面倒を見てもらうような状態でした。
絶対に不穏な動きを見せてはならないとして、薩摩藩は帰ってきた義士たちや遺族たちに褒美も取らせず、治水工事の事は一切口に出してはならないという命令を出さざるを得ませんでした。
そんな薩摩藩の動きから、百姓たちも薩摩義士のことを「金を無駄に使って、他所の治水工事をダラダラとやってきた奴ら」と思うようになってしまいました。
そういうことですから、現代にいたるまで鹿児島では薩摩義士のことを知っている者が少ないというわけです。

その後、三つの川は何度か反乱を繰り返しています。そのたびに薩摩藩はアフターとして修繕工事に赴いています。宝暦の治水工事の後、すっかり反乱や決壊が無くなったわけではありませんでしたが、現代の強固な土手の基礎になっていることは間違いないのです。
また、薩摩藩に帰っても歓迎されないだろうと悟った数名は、治水工事の後岐阜の山奥に住み着いて、農民として集落をつくった話もありますし、木材問屋に婿入りしたという武士もいたようです。
そういうわけで、治水工事と岐阜と薩摩は、切っても切れない縁になったのですね。

タワーを360度堪能した私たちは、下界に下りて、次は民俗資料館に行きました。
ここにも多少の治水工事の展示物があります。


いやはや、これはとても素晴らしい展示物の数々でした。
むしろ、展示の仕方が非常に勉強になりました。こんなに丁寧に、かつ手作り感があって暖かい、クオリティの高い展示物はありません。
たいていこういう展示物の場合、特に子ども達は飽きてしまいがちですが、子どもたちにも分かりやすい展示の仕方でした。
しかもただ並べてしまう傾向にある考古学的な出土品も、大きくて綺麗なイラストや魅力的な照明などで、興味をそそられる展示の仕方がなされていました。すごいな~。鹿児島は見習わないのかなぁ~県立博物館の特に別館。

ここをしっかり見終わったころ、お腹が異常に空いていることに気付いた私たちは、夕方4時ごろ、遅い昼食をとりました。
お蕎麦屋さんで美味しい定食を食べ、ラッシュに巻き込まれる前に名古屋の金山に帰り着きましたとさ。

金山の全日空ホテルを予約してもらっていたので、ここで1泊です。でも息子さんは次の日仕事だという事だったのでお別れでした。丸一日車の運転をお願いし、お疲れだったことでしょう。
お礼の代わりに、金山駅で販売していた飛騨牛カレー(レトルト)を6箱プレゼント。なんて安いお礼なんざんしょ。

次の日は夜の7時半のフライトまで自由時間なので、名古屋の街を観光することにして、早めに休むことにしました。
以前見に行きたくても見に行けなかった名古屋城を制圧しなくてはなりません!!!(笑)

報告その3につづく。
  


Posted by hd130 at 12:50Comments(0)社長のひとりごと

2013年01月17日

第6回IKO会in関東東海(報告その1)

東京東海へ行くという私に「私も行く」とすぐに乗ってきたO迫様。最近お仕事でIKO会に参加できないN崎様には申し訳なく思いつつも、図らずもIKO会となったっぽい今回は、去る1月9日~11日までの二泊三日で、東京名古屋岐阜(桑名方面)へ行くことになりました。
いつもは幸せの鐘を鳴らすだの汽車に乗るだのと日帰りでのIKO会ですが、今回だけはそれぞれの地に目的がありました。
東京へは祖父の伝記を作成している関係で、彼が残したと言われる文学作品を探しに。名古屋へはIKO会員のO迫さんの息子さんに会いながら、観光の在り方を学ぶために名古屋城へ見学。岐阜へは薩摩義士で有名な宝暦治水工事の史跡巡りをして、2015年に鹿児島で開催される国民文化祭を見据えての視察にいくというものです。

一気にかくと時間がかかるので、今回は「報告その1」ということで、東京編を掲載したいと思います。

さぁ。10時55分初のソラシドエアで羽田に出発するために、10時に鹿児島空港に着いた我々は、ロイヤルホストで朝食のパンを食べて準備運動。しかしこの時点でノンストップトークがスタート。あっという間に搭乗の時間になって羽田に飛びました。
機内サービスで出た飲み物の中に、「あご出汁スープ」なるものがあり、冒険をしたO迫さんから分けてもらった料理長ゆう子が「これは美味い!」と絶賛。蕎麦でも入れたいと言いながら、さっそく機内で購入して荷物を増やしていました。早い。

12時30分ごろ羽田着。ここからは脇目も振らずに日本近代文学館を目指します。
京急蒲田経由で品川に向かい、そこから山手線で渋谷に行って、井の頭線に乗り換えます。
駒場東大前という駅で降りると、徒歩7~10分で日本近代文学館に着くという算段でした。
駒場東大は、教養キャンパスがあって、1~2年生の皆さんがここで一般教養を学ぶとか。東口に降り立つと目の前に東大の正門があって、いきなりテンションが急上昇の我々です。



大きなキャリーバックを引きずったままの保護者と子どもらしき3人が、キョロキョロしながら東大の中を突っ切るのを、守衛さんはきっとセンター試験でも受けに上京した気の早い3人だと思ったに違いありません。
まるで公園のように、ところどころにあるベンチで陽向ぼっこをしながら世間話をしている近所のおばちゃん(学生ではないはず)を横目で見ながら、東大の西門から出て、駒場公園の中にある近代文学館に向かいました。
途中で方向を見誤って、公演を大きく遠回りしてしまいましたが、無事に文学館に到着。



駒場公園は誰それの建てた洋館がひっそりと建っている他は文学館だけなのですが、周りはうっそうとした森で、都会の真ん中で森林浴ができそうな勢いでした。
というか、周りに建っているお宅がどれも豪邸で、住宅地の中を歩いているだけでセレブになった気持ちがするほど。
こういう宅地の中にある駒場公園は、絶好の散歩コースとなりそうでした。

さぁ。ようやくつきました近代文学館。


裏口か玄関か分からないまま突入しましたが、どうやらこっちが正面玄関であっていたようです。
簡単な手続きを済ませたら、予約しておいた雑誌「文芸雑誌たね」の閲覧を始めました。
普通号と特別号が合わせて50冊ほどあり、3人で手分けして私の祖父の名前がないか1つ1つ目を通していきました。



この文芸雑誌たねを発行していた「プロテスタント文学集団たね」は、キリスト教信者であった椎名麟三が発足させた文学集団です。
椎名麟三は実存主義という多少難解な哲学の下、戦後の近代文学にものすっごい影響を残したと言われています。
実存主義と言うのは、「ただ私がそこに居る」・「神の前にいる」という考え方で、椎名麟三は人生の中における真の自由なるものを追求したと言われています。私も彼の作品は「美しい女」という本しか読んだことがないので、こんな人だという事は出来ないのですが、とにかく椎名麟三は戦前戦後の学生に、新しモノの見方を与えました。
学生は椎名麟三を語るのがトレンドとなり、それを酒の肴にして夜通し討論しあったと、当店に飲みに来てくださる南日本新聞のOB、M橋さんが教えてくださいました。

そんな椎名麟三のオタクだった祖父は、キリスト教信者でなくても入会を認められた昭和38年前後に、この文学集団に所属。鹿児島で唯一の会員として自分の作品にも熱心に取り組み出しました。

小一時間ほど探しましたが、残念ながら収穫はゼロ。
3時すぎに文学館を後にして、井の頭線に乗って渋谷に戻る前に駅の近くでコーヒーを飲みながら、文芸雑誌を編集している事務局に電話してみました。
すると、当時からの生き残りがわずかになってしまったけれど、私の祖父のことについて色々調べてくださると申し出てくださいました!
まっこてありがたいことです~。

腹ごしらえをした後、渋谷まで戻ったら今度は半蔵門線に乗り換えて、スカイツリーを身に押上駅まで行きました。
押上はソラマチが入っているビルの地下から出てこられる駅で、駅を降りると目の前にスカイツリーが見えるよと親戚のT夫おじさんから教えてもらっていました。
押上はお客さんも少なくて、電車にも座れたし、穴場中の穴場。「やったね、最高だね」と言いながら押上を降りましたが。

何?スカイツリーはどこだ?目の前にないじゃないか。一体どこにあるというのか。

困惑しながら振り返ると、



わーーーー!と歓声を上げたのは言うまでもありません(笑)
すっかり日が暮れていたので、イルミネーションも美しく、首のヘルニア持ちの私にとって、頭痛がするほどの高さでした!!
すっごく綺麗!
さらにソラマチの上の階のデッキに出て、まさにスカイツリーの足元にも立って見る。



ブスな親子でのショット。アオリの画には耐えられませんな~二重あご!
しかしスカイツリーそのものや、デッキの植え込みに施された電飾がとてもきれいで、とても素晴らしかったです。巨大建造物大好きな私にとって、いい観光となりました。

品川に戻る前にソラマチでお土産など買っていたら時間が迫ってしまい、急いで品川に戻ることに。
7時に品川駅で姉と待ち合わせしていたのですが、ボーッとしていた我々は、渋谷についた時点で7時過ぎ。
姉の指示でタクシーに乗り換え、銀座の交詢社ビルに向かって、4階にある創作レストラン「よねむら」に行きました。



久しぶりに姉との再会。貫禄が出てきた体型になっていて頼もしい限りでした人の事言えないけど(笑)
で、出てくる料理のとめどないことといったら、文字通り吐きそうになるほど料理が出て来て驚き。

オードブルの前にすっぽんのスープが出てきたのを筆頭に、何かの前に何かが出てくるというパターンで、いったい何が本コースに含まれているのか訳が分かりませんでした。
写メにもあるように、フォアグラと黒トリュフのスライスのバターソテーなどは、その名前を聞いただけでセレブになった気分。
デザートの前にもデザートがある状態で、別腹と思っていたデザートすら入らないという事態になりながらごちそうさま。
なんとお姉さまにごちそうになってしまいました4人前!

銀座から品川駅に直結しているインターコンチネンタルストリングスホテルに行き、ここもまたお姉さまに奢ってもらって、超高級な雰囲気の中眠りに落ちました。
そのころ、ツインの部屋に1人で寝るというスーパー贅沢を、O迫さんは一人で味わう。
あっちのベッド、こっちのベッド、と、渡り歩いて寝たとか(爆笑)!!

私は姉と母が寝た後も、次の日に見に行く治水工事の様子が書かれてある「薩摩義士」という橘一昭氏の小説を読破するために深夜2時半まで起きておりました。
途中、ベッドから転げ落ちて、サイドテーブルに頭をぶつけた母に、寝ながら爆笑する姉の奇怪な寝姿を目撃しながら、次の日の新幹線のことを考えながら、今度は薩摩義士へ頭のスイッチを切り替えるのでした。

報告その2につづく。  


Posted by hd130 at 09:18Comments(0)社長のひとりごと

2012年11月19日

爆笑!エンタメ部長の袖

土曜日、エンタメ部長の着ていた長袖のポロシャツが異常なことになっていました。
むかーーーーーしから着ている年季の入ったポロシャツでしたが、しばらく着ない間にどうやら窮屈になってしまったとか。
しかし、頭が入らないとか、肩がきついとかではなく、なぜか袖から手が出ないという事態に。

普通ポロシャツの長袖の袖口って、ゴムで広がるはずなんですが、ゴムで広がってるにもかかわらず手が出ない。
そこでエンタメ部長はそのポロシャツを着るのを諦めるのではなく!
袖口の部分をはさみで切り落としたというではありませんかっっ!!!!!!



写真の通り、ギザギザです。袖がギザギザです。
最低です。
そこまでして着たかったのか。
いえ、どうせ着れないなら捨ててしまうはずのポロシャツでしょうから、袖を切り刻んだとしても同じ運命なわけで、別にどうという咎はないのですが。

やっぱりエンタメ部長の発想は凄すぎます。  


Posted by hd130 at 09:07Comments(2)社長のひとりごと

2012年11月10日

国民文化祭2015に向けて(やるぞ宣言)



写真は、今回の記事に関係ない白猫ホワイティのヒゲの根元にダニがいるのを撮ってみたものです。
このダニを取ってつぶすのが快感(笑)。

さて、ここからは久しぶりに長~い独り言ですので、暇で仕方がない方のみご覧ください。
題名にもありますとおり、2015年の話です。

実は2015年に、鹿児島県で、第30回を数える国民文化祭が開催されます。
知らなかったでしょ?私もこの夏まで全然知らなかったわけですが。
吉野兵六の狂言開催関係でこの情報を入手した私は、瞬間的に参加したいという衝撃が走りましたのです。

全国の都道府県が持ち回りで会場となって執り行われる文化祭。しかも全国規模のやつ。
今年は徳島らしいのですが、メディアでも徳島の話をあまり聞きませんね。
スカパーで24時間ニュースチャンネルを見ていますが、徳島の文化祭については、ここ半年一度も報道されていません。

こいつはいかんな~。鹿児島大会のときは盛り上がっていかないと!

というわけで、アタクシhd130は、県の文化祭準備室の職員の方の全面アドバイスを受けながら、2015年の文化祭に向かって一旗揚げてやろうと決心。
県民による提供事業ということで、いわゆる有志で何かイベントやっちゃうよ?という分野で、デッカイことを計画することにしました。

計画だけはもう2,3個出来上がっているので、チェストブログやフェイスブックに文化祭関係のアカウント取得しようと思っています。
今後の進捗状況については、そっちでUPしていきますので、友達申請や相互リンク、よろしくお願いします皆さん!

そんな、県民参加型の、達成感バリバリの計画とは!!

①県民参加舞台~現代劇~・・・岐阜県の治水工事に命を懸けた薩摩義士伝!
②かごしまの偉人、文化、民話などをテーマにしたアンソロジーコミックの原稿公募と発行!
③かごしまんちゅ、ものづくりさせたらここまで凄いんだぜ大会。個人的に、コンセプトカーを作ろうかな~なんて!

そういう感じで、とにかく①と②は絶対やります。オーディションやります。
大道具作るの大好きな人や、衣装デザインや和裁の趣味を持っている人、美容師さんなどのスタイリスト関係者のボランティアも募ります。
将来、役者や漫画家を目指す全ての人に参加していただきたい!

なんか面白そうwと思ってくださった方は、とりあえず「ほんだの国文祭2015」で検索してください。
今日明日中にもFBやチェストブログを新設致します!!

燃えろ、いい女~♪ 燃えろ、ほーんだー!  


Posted by hd130 at 16:31Comments(3)社長のひとりごと

2012年09月25日

教え子を自慢するの巻

先日、3年前に教科を受け持っていた教え子から、
「友達の誕生日会をしたいから、先生のお店使わせてください」
という旨の連絡をもらいました。
話を聞けば、地元の友達の誕生日がその日なのだとか。他の友達も内緒で招待して、サプライズ企画をしたいということだったので、即OKし、私はケーキを用意する役を買って出ました。

企画を立てようとしているのは高校3年生になる男の子。誕生日を迎えるその主人公の子も男の子。
高校男子が、友達のためにサプライズを企画してあげるなんて、ちょっと驚き。
気持ちの優しい、義理に熱い男なのだな~と感心しました。

さて、そんな彼らの前で教壇に立っていたのは先述したように3年前でした。
しかもたったの1学期間でした。
私は期限付の教員だったので、復帰される正職の先生次第で私の任期は決まるわけです。
その時も、割と急な日程で任期が終わることが判明し、彼らに1学期期末試験をさせた後、採点する間もなく私は退職しました。当時は部活動の顧問もしていたので、最後の大会に引率してあげることもできずに、完全な尻切れトンボ状態で去ったわけでした。
彼らが受験を控えた中学校3年生という大切な時期に、すべてを放り出してしまう形になったにも関わらず、一部の生徒は今の今まで、密に連絡を取ってくれていました。

今思えば、1学期しか一緒に過ごせなかった我々ですが、とても濃い3ヵ月間を過ごしたように思います。
ほとんど毎日授業で顔を合わせる他、部活が終わったあと、部室の前で暗くなるまでおしゃべりしたり、教室に残って他愛のない話で盛り上がったり、本来は注意するべき所で一緒になって遊んでしまったり、休日に地域の総合運動場でバドミントンや卓球をして過ごしたり、教科以外でも彼らはよく関わってくれました。

一期一会とは言いますが、私たちは人との付き合い方を一過性のものにしてしまいがちです。
もうしばらく会わないだろう、もしかしたら二度と会わないだろうと思って接することもあります。
ところが彼らは私と過ごすたった90日という時間を、とても大事に扱ってくれました。私との出会いを大切にしてくれました。
3年ぶりの再会を果たすため、事前にRainに挨拶に来てくれたり、ご飯を食べに来てくれたり、サプライズ企画のために連絡を入れてくれたりしたのがその証拠です。
本当に感激でした。

さて、いよいよサプライズ当日。
私は同級生のパティシエ、ハルキングママを呼びつけて、バースデーケーキを作ってもらうことにしました。
急な呼び出しにも関わらず、即座に対応してくれてありがとーハルキングママ!!
可愛いロールケーキをタワーのように積み上げるという斬新かつ簡単かつ見栄え最高のバースデーケーキ!!
周りにブドウやスターフルーツを飾ってクリームを絞って、めちゃめちゃ豪華になりました☆

先に女の子がこっそり入店。
この女の子の中にも私の教え子がいて、彼女ともよく一緒にジョギングしたり、大会に行ったり合宿に行ったりしました。
3年前とほとんど変わらずに朗らかなままの美人で、3年ぶりに再会した時は、はいから通りで抱き合って喜んだものです(笑
しばらくしてから主人公と、彼を誘導する幹事の友達が入店。
彼らが入店するとすぐに女の子たちがバースデーソングを大合唱して拍手で迎えてあげていました。
微笑ましい光景~!! かなり和みました。

さっそくハルキングママのスペシャルケーキをセッティング。
みんなの「わ~!マジやばい!!」という歓声が快感ですよ私が作ったわけじゃないけど(爆!


うちのエンタメ部長のギター伴奏で、改めてバースデーソングをみんなで合唱。


主人公の彼も、美人な友達と優しい友達に囲まれて、どうしていいか分からないという按配で、手で顔を覆って照れ隠し。
3年前からあまりリアクションを大きくとらない落ち着いた彼ですので、今回も身振り手振りは小さかったですが、湧き上がる感動を噛み締めているような笑顔を見せておりました。和みます。


いや~。二人の笑顔もさることながら、私はこのケーキにくぎ付けですよ。
めっちゃ可愛いケーキやな~!もし私にウェディングケーキなるものが必要になったら、このロールケーキタワーがいいですわ。
あ。話がちょっと反れますが、来月の開業1周年記念の時には、再びハルキングママのタワーが出現予定。その時はもっとビッグでハイエスト。しかも3色ロールというから驚きですぞ。食べてみたい方は1周年記念の情報をお見逃しなく(笑

そんなわけで、彼らはおしゃべりしながら一人2~3個ずつのロールケーキを食べて楽しんでおりました。
ちょうどマンドリンのS吉さんが楽譜を持って練習に来ていたので、しばらくしてからエンタメ部長が
「我々の例の4人バンドで1曲演奏をプレゼントしようか」
と言い出しました。
S吉さんはうちの店に置いてくれているフラットマンドリンを使うということで、母ベース、私ピアノで、以前練習してお披露目した「白いブランコ」を聞かせることになりました。

いやはや、高校生相手に生演奏で「白いブランコ」をプレゼント代わりに聞かせる店って、全国初なのではないでしょうか。いや、世界初かも。
予想通り、白いブランコと聞いてもピンとこなかったし、歌い終わっても「聞いたことないね」と首を振るしで、反応としては面白かった(爆笑
ただ、焼酎の宣伝に使われている曲の作曲者だと言うと、「あー、なるほど、坂本冬美が歌ってるよね」とピンときたご様子。
ウケます。

一方、我々が演奏している間、ハルキングママは食器を洗って拭いて直してくれているという偉業を達成。
マジで労働させてしまった…ごめんね、そしてありがとう!!ホントに気の利くハニーです★

それから小一時間ほどしてから、教え子たちは解散しました。
その時のお礼の言い方がとても丁寧でした。
マンドリンのS吉さんが先に帰られた時も、彼らはきちんと頭を下げて、大きな声で
「演奏、ありがとうございました!」
と全員で礼を述べるほどで、S吉さんも思わず足を止めて
「いい子ね、あんたたち!!」
と感動して帰って行かれるほどでした。

主人公の彼も、帰るとき、私の両親に向かって
「ケーキも演奏も凄く感動しました。ありがとうございました」
と、何度も深々と頭を下げて帰って行きました。

そういえば彼らは、私が皿や紅茶を席に運ぶたびに手伝ってくれたり、「すみません、ありがとうございます」、「いただきます」と声をかけてくれたっけ。
他のお客さんへの配慮も忘れずに、横切るときは会釈をし、自分の前を通り過ぎて行かれるお客さんにも会釈をし、やるべきことがしっかりできていました。

中学校の時から、彼らは普通じゃないぐらいシャンとした態度の子たちでしたが、それにも増して素晴らしく成長した彼らを見て、私の親心も感動して打ち震えました。
とてもいい気分で彼らを送り出して、さて片付けようと思ったら・・・!!



ああああああああああ!食器がきれいに寄せられている~~~!!!
どこまで気の利く子たちなんだ!!

もし私が高校生だった頃、もし友達同士で喫茶店でケーキ食べたとして、こんなふうに隅々のことまで配慮して行動できただろうかと我が身を振り返らずにはおれません。
彼らと私とでは、そもそも中身の作りが違うんだから、到底同じようなマネはできなかったとは思いますが。

どうやったらこのようなことができるようになるのか。
親の顔が見てみたい!!!!…と思ったら、私は親の顔を見たことがあるので、なるほど、あの素晴らしい親御さんの子どもなら頷ける、と妙に納得してしまいました。
育てた人と環境が立派だと、子どもも立派になるのです。
親のことを反面教師にして立派に育っている人とも、やっぱりどこかちょっと違う、肯定的な立派さというか、そういうのを感じてしまいます。
親の背中を見て、親のやることを見て、ああすればいいんだ、こうすればいいんだ、と判断できる子どもが育つんだな~。
ああしないほうがいい、こうならないようにしよう、と思って見ている子どもと、微妙に違いがあるような気がする。

とにかく本当に開いた口がふさがらないほどに、彼らは完璧な状態で大人になっていました。
もうどこに出しても恥ずかしくないでしょう。
企業や公務員は、こういう人材をどんどん採用するべきです。
こういう人たちに将来の日本を担ってもらわないといけないのですよ。

私は私の将来を、こういう子たちに託したいと切に願います。
彼らの幸せのためなら、何をなげうってでもいいとさえ思いますわ。いや、教え子可愛さではなく。

というわけで、すっかり癒されてしまった一日でした。
終わりよければすべてよし。
いい1週間になれました。教え子に感謝感謝感謝です。  


Posted by hd130 at 10:07Comments(0)社長のひとりごと

2012年08月19日

宇宙チャンネルが熱い


今回は写メではなくイラスト。適当な銀河イメージ図なり。
今回のブログは、本当につまらないひとりごとで、宇宙のことについて熱く語ろうと思っているので、どうかこの時点で興味がないお方はお引き取りください(笑

さて、今日は臨時休業でしたが、校了していたと思っていた広告デザインの校正が再発してしまい、かれこれ8時間パソコンの前に噛り付くハメになっております。
それでも私の心のよりどころは、スカパーの宇宙番組。
有名ハリウッド俳優がMCをしている番組が、今日は朝から夜まで一挙放送で、かなり癒されます。
こんなときほどスカパーをつけておいて良かったと思うことはありませぬ。

さて、昨夜、某大学の宇宙物理の先生N川氏が半月ぶりのご来店でした。
ご来店の時点で、もちろん歌を歌ってもらうのが第一の目的で機をうかがっておりましたが、N川氏の出番が回ってくるまで、宇宙の仕組みことについて質問することにしました。

私がN川さんに教えてもらいたかったのは「ひも理論」。
宇宙はひものようなもので説明がつくという凄い話を耳にした私は、テレビ番組を一生懸命見るのですがほとんど理解できませんでした。
するとN川氏はいとも簡単に説明してくださいました。

宇宙を形作っているものは原子ということはみんなご存じ。原子も、陽子やら量子やら、さらに細かいものでなりたっているわけですが、それらをくっつけたり離したりして形づくっている力は4種類あるのだとか。
重力と、核反応に見られるような強い力と、原子同士を離す弱い力、そして物の重さそのものです。
重力以外の3つの力は、どうやら数式などで説明がつくのだそうですが、そこに重力も加わると数式が成り立たなくなってしまうんですって。
そこで、重力も4つめの力としてうまく組み込ませる考え方として「ひも理論(弦理論)」というものが誕生したのだそうです。

ひもが振動して波打ってウニュウニュした形だったら、この4つの力の説明がつきそうだというわけです。
どう説明がつくかというと、ここからは話すと虚しくなる、とN川氏の爆笑発言。
でもここまで聞けば虚しくなる発言にも異様に納得してしまいました(笑

しかしとりあえずひも理論が何なのかは理解することができました。
さすがN川先生。こんな国語畑のアタクシにも超分かりやすく説明してくださるなんて!

そんな今日、改めて宇宙番組を見ると、この4つの力の話が頻繁に出て来てかなり分かりやすかった。
ひも理論の他にも、ドーナツのような形をしている円を、いくつもの円で規則的に切り込みを重ねてみると、何百回目かの切り込みで、重力も含めた4つの力の関係を1つに表わす画期的な数式が見つかったという話題もありました。
しかもその数式によると、ヒッグス粒子存在の証明や、未知の粒子の存在すら暗示しているというのです。
もしこの数式が正しい、あるいは方向性があっているというなら、相対性理論以来の大発見となるらしいとか何とか。

とにもかくにも、宇宙のしくみの理論について多少理解できるなんて、N川氏のおかげです。めっちゃ感動しました。

今日の番組では、さらに面白い学説が聞けました。
宇宙はほかにも多く存在するという学説です。しかも隣り合っているとか。まじか。
宇宙地図を作って銀河の位置やら星の位置やらを温度で表してマップを作ってみると、ある場所で異常に冷たくなっているコールドスポットなるものが存在するらしいのです。
そこは、お隣の宇宙の重力に引っ張られて、そこあたりの空間に「何もない」状態であるといえるので、どっかとなりに別の宇宙があるよ、というわけです。どうやらNASAも色々な情報をかんがみて、別の宇宙がある可能性があると発表したとか言ってました。
こういう宇宙を、ユニバース(単一宇宙)と言わずに、マルチバース(様々な宇宙)というのだそうで。

隣り合っている宇宙の形は、垂れているしずくのような形だとか、幕のような形だとか、ブラックホールの一番底から、ブドウのように宇宙が次々と房なりになってできているとか、いろいろな憶測があるみたいなのですが、どちらにせよ目からうろこ。
あと数年で、思ってもみなかった宇宙の常識が誕生するかもしれません。すごいな~。

あとは、最近よく耳にするようになったダークエネルギー。
ダークエネルギーは、宇宙をものすごい力でどんどん押し広げている力だとか。
遠くの星を観察していると、どんどん遠ざかっていることが判明したので、宇宙は膨張を続けているという結論に至ったらしい。
普通は一度勢いよく飛び出したものは、徐々にそのエネルギーを弱めていって、広がる速度が落ちてゆくゆくは停止するというのが一般的だけど、宇宙はそうではないわけですので、この力をダークエネルギーというらしいです。
そうなると、宇宙はどんどん広がって隙間だらけの空間になってしまって、いずれは何もないただの真っ暗な寒い空間になるだけなんじゃないかという。
ホーキング博士の話だと、ダークエネルギーの他にも、燃料を使い果たした星たちのせいで、リアルに何もない空間になっていくのではないかという考え方もあるみたいです。
こうやっててんでチリヂリになる現象を、ビッグ・リップと言うらしい。

ところが、宇宙の全体の重力に自分自身が吸い寄せられて、一度外に飛び出したものでも、いずれまた1点に集まって集約していくはずだから、宇宙もそうなるはずだとする学説もあるらしい。これをビッグ・クランチと呼ぶんだって。
で、もうこれ以上自分に吸い寄せられない限界点に達して、ビッグバン。永遠に宇宙が誕生したり終焉したりを繰り返すのだとか。
いやもう何が何だか。

でもいいね、宇宙!学者さんの皆さん、ぜひ頑張って凄い発想展開させてください(笑
N川さんも頑張ってくださ~い。そしてオジハンたちの宇宙質問攻めにも負けずに相手してやってくださいね(苦笑  


Posted by hd130 at 20:18Comments(0)社長のひとりごと